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最高裁判所第二小法廷 昭和23年(れ)89号 判決 1948年6月05日

主文

本件上告を棄却する。

理由

辯護人鶴崎善八の上告趣意書第一點は「原判決が認定した事実は罪とならないにも拘らず原審は法令の解釋を誤り該事実を罪とし刑法第二百五十二條第一項を適用して被告人に對し刑の言渡をした違法がある。刑法第二百五十二條第一項の横領罪は自己の占有する他人の物を不法に領得するにより成立するものであるが私は其の物の占有は委託に基き開始されたものでなければならないと思考する。而して茲に委託とは返還又は一定の用途に充つることを内容とする義務を負擔し物の引渡しを受くることを意味するのであるが本件に於ける委託は被告人が相被告人宮原義徳及永本正より受取った金員を同人等の收賄事実の隠蔽手段として同人等の上司である岩国警察署司法主任等を買收する費用に充當して費消するに在ったのである。然るに被告人が受取った金員は之を委託の趣旨に從ひ買收費に充當することが事実上出來なかったばかりでなく之を充當費消することは却って贈收賄等の犯罪を醸成し妥當ではなかった。然らば被告人としては其の金員を相被告人宮原義徳及永本正に返還する一途あるのみであったが相被告人の右金員給付の原因は前記の通り司法主任等を買收する爲であったから民法第七百八條に所謂不法原因による給付であって給付者たる右相被告人等は被告人に對し給付した金員の返還請求權を有せないのである。從って被告人は給付を受けた前記金員を自由に處分し得べき地位にあり之を自己の用途に費消するも刑法第二百五十二條第一項の横領罪が成立する餘地がないのである。然るに昭和十一年(れ)第二〇一〇號大審院判例は民法上不法原因の爲め給付した者は其の給付した物の返還を請求することは出來ないが其の物に對する所有權を喪失することがないから給付受領者が擅に之を自己の爲め着服した場合は横領罪が成立すると爲して居る。然し右判例は大正八年(れ)第一八七六號の大審院判例と其の精神に於て多少の矛盾があるばかりでなく代替物特に金錢が委託された場合之を封金に爲すか又は特別の意思表示がない限り其の金錢の所有權は委託と同時に委託を受けた者に移転する通常の事例に反する。殊に民法上委託契約の場合には交付された金錢は受任者に歸屬する旨の大審院民事部判例(明治四十五年判決録第一頁)賭博行爲を一任して交付した賭博資金の所有權は其の交付と同時に交付を受けた者に歸屬し之を費消するも横領罪は成立しない旨の昭和五年七月二十八日の朝鮮高等法院判例に想到する時益々其の感を深くするものである。果して然らば前記昭和十一年(れ)第二〇一〇號の判例は當然變更せらるべきものであって之を墨守した原判決は結局刑法第二百五十二條第一項の解釋を誤り不法に被告人に對し有罪の言渡しを爲したる違法があるもの謂ふべき到底破毀を免れないものと思考する。」と言うにある。

原判決の確定した事実によれば被告人は昭和二十一年五月二十八日頃岩国警察署外一個所で原審相被告人宮原義徳及び永本正から同人等の收賄行爲を隠蔽する手段として同人等の上司である岩国警察署司法主任等を買收する爲め金二萬二千圓を受取り保管中同年六月一日頃から同月中旬頃迄の間犯意を繼續して數回に神戸市その他で右金員の内二萬圓を自己のモルヒネ買入代金等に費消したものであるというのである。ところで不法原因の爲め給付をした者はその給付したものの返還を請求することができないことは民法第七百八條の規定するところであるが刑法第二百五十二條第一項の横領罪の目的物は單に犯人の占有する他人の物であることを要件としているのであって必ずしも物の給付者において民法上その返還を請求し得べきものであることを要件としていないのである。そして前示原判示によれば被告人は他に贈賄する目的をもって本件金員を原審相被告人宮原義徳及び永本正から受取り保管していたものであるから被告人の占有に歸した本件金員は被告人の物であるといふことはできない。又金錢の如き代替物であるからといって直ちにこれを被告人の財物であると斷定することもできないのであるから本件金員は結局被告人の占有する他人の物であってその給付者が民法上その返還を請求し得べきものであると否とを問わず被告人においてこれを自己の用途に費消した以上横領罪の成立を妨げないものといわなければならない。然らば原判決が右と同一見解の下に被告人を横領罪として處斷したのは正當であって論旨は理由がない。(その他の上告論旨及び判決理由は省略する。)

よって本件上告は理由がないから刑事訴訟法第四百四十六條により主文の如く判決する。

この判決は裁判官全員一致の意見によるものである。

(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎)

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